November 24, 2011

11/24 (木) 観劇〜イキウメ「太陽 THE SUN」@青山円形劇場

立川談志が亡くなった。
時代の終わりとはじまり。

テレビでは、立川談志を知らない女性アナウンサーが追悼の言葉を語っている。
この違和感が旧時代となり、これからの、もっと本質の時代が進んでいくことを望む。
本当にテレビだと、一面、それも相当偏った一面しか取り上げないのだと改めて実感。
親が子供にテレビを見せない理由がよくわかる。

夜、観劇。


イキウメ「太陽 THE SUN」
@青山円形劇場

演出・脚本:前川知大
出演:浜田信也/盛隆二/岩本幸子/伊勢佳世/森下創/窪田道聡/大窪人衛/加茂杏子/安井順平/有川マコト


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四十年程前、
世界的なバイオテロにより拡散したウイルスで人口は激減し、政治経済は混乱、
社会基盤が破壊された。

数年後、感染者の中で奇跡的に回復した人々が注目される。
彼らは人間をはるかに上回る身体に変異していた。
頭脳明晰で、若く健康な肉体を長く維持できる反面、紫外線に弱く太陽光の下では
活動できない欠点があったが、変異は進化の過渡期であると主張し自らを
「ノクス」(ホモ・ノクセンシス = 夜に生きる人)と名乗るようになる。

ノクスになる方法も解明され、徐々に数を増やす彼らは弾圧されるが、変異の適性は
三十歳前後で失われる為、若者の夜への移行は歯止めが効かなくなった。


次第に政治経済の中心はノクスに移り、遂には人口も逆転してしまう。
ノクスの登場から四十年、
普通の人間は三割程になり、ノクス社会に依存しながら共存している。
かつて日本と呼ばれた列島には、ノクス自治区が点在し、緩やかな連合体を築いていた。


都市に住むノクスに対し、人間は四国を割り当てられ多くが移住していたが、
未だ故郷を離れず小さな集落で生活するものもいた。



久しぶりの青山円形劇場。
暗転になる時の、反対側に見えるお客さんの顔。
それぞれ当然ながら、来ている服、顔、年齢、すべて異なる。
そこにはそれぞれの人生があり、それぞれの立場がある。
それが背景になっている。
これほど素敵な空間はないな、と思いながら劇が始まる。

なかなか見事な作品を観させていただいた。
これほどの作品に出会えることはないだろう、ただただ感謝である。

テーマは差別。
なぜ差別をするか。
それは自分と異なることを見つけて自分を優位にするため。
設定がSFになっているが、それはあくまでもスタートライン。
内容は非常に重い。

2者あり、弱いと考えられる方と、強い立場と考えられる方で話が進んでいく。
それぞれの理屈と考え方。
これは、2者の考え方でどんな立場でも考えられる。
イスラム教とキリスト教、福島県民とそれ以外、日本人と朝鮮人。

見事なくらい本質をついた展開に、緊張感が最後まで続いた。
どちらの論理が正しい、と簡単に出る問題ではないからだ。

脚本がとてもしっかりとしている。
ぶれずに、ごまかさずに、まっすぐとそれでわかりやすく作られているのに感心する。

あえて気になったことを言えば、まず演者の力量の差が気になった。
セリフが棒読みになっている演者が二人。
演技において、相手との間が感じ取れていない。
その違和感を感じた瞬間に、この劇団(もしくは演者)を以前に観て、同じことを感じたことを思い出す。
空間を支配しきれていない。
ただ声を張り上げればいいわけではないのだ。
セリフが現実的でない、ある意味では盛り込みすぎというのもあるのだろうが。

あと、ストーリーの設定が本編で生きていないので、あらかじめいただくパンフレットは読んでおくと、より興味深いだろう。
逆に言えばそれも弱点。

差別という人間の本能にあるものを取り上げるわけで、当然、簡単に結論はでない。
そこには、人間の弱さが露呈する。
そのモヤモヤした問題を、わかりやすクリアに取り上げた功績は大きい。
決して楽しいテーマではないが、演劇たる、演劇でなければできない作品。

自分の席の後ろの女性のお客さんは、終始泣きっぱなしだった。
決して悲しい話ではないのだが、気持ちは分かる。

すぐに消化ができるわけではないがすごいものを観た、そんな気分で家路に向かう。

hasegawa_takeshi at 23:59│Comments(0)TrackBack(0) 演劇 | 生活

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